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2016.09.13 10:04

叫びの都市 寄せ場、釜ヶ崎、流動的下層労働者 原口剛


社会一般


原口 剛(著)


発行:洛北出版


四六判   410頁  並製


定価 2400円+税


ISBN 978-4-903127-25-5 C0036


在庫あり(出版社情報)


奥付の初版発行年月 2016年9月


書店発売日 2016年8月31日


登録日 2016年8月5日


ぐー右

紹介


 夜の底、うねり流れる群れ ――― 


 流動する労働者(流動的下層労働者)たちは、かつて、職や生存を求め、群れとなった。かれらは、都市空間の深みを潜り抜けたのだ。山谷‐寿町‐笹島‐釜ヶ崎を行き交う、身体の群れ。その流動は、いかなる空間を生み出していったのか。


 私たちはすでに「釜ヶ崎的状況」を生きている。「寄せ場〔よせば〕」の記憶は、今を生き残る術〔すべ〕を手繰りよせるための、切実な手がかりなのだ。地表を横断する群れとなれ、君みずからの「寄せ場」をつくれ ―― 過去からの声は、そう私たちに耳打ちしている。


目次


序 章


● アスファルトを引き剥がす


   釜ヶ崎という場所


   過程としての空間


   本書の問い ―― 線を追跡する


第1章


● 戦後寄せ場の原点 ―― 大阪港と釜ヶ崎


   一九五〇‐六〇年代の港湾労働の地理


   港湾における労働者階級の状態


   国策と資本の矛盾


   封じ込められた例外


第2章 


● 空間の生産


   一九六〇年・釜ヶ崎の社会空間


   場所の構築 ―― 焦点とフレーム


   空間改造


   植民地的空間の犠牲者たち


第3章


● 陸の暴動、海のストライキ


   対抗の地勢


   陸から海への線


   海から陸への線


   失われた地勢


   記憶のリストラクチャリング


   孤島から群島へ ―― 流動的下層労働者の像 


第4章


● 寄せ場の生成 (1) ―― 拠点性をめぐって


   暴動とは何であったのか


   暴動の活用 (1) ―― 全港湾西成分会の議会内闘争


   階級の形成 ―― 流動的下層労働者


   暴動の活用 (2) ―― 釜共闘の直接行動


   拠点としての寄せ場


第5章


● 寄せ場の生成 (2) ―― 流動性をめぐって


   寄せ場の労働者になる ――I氏の流動


   寄せ場とはどこか


   複数の寄せ場


   飛び火する運動 ―― 「山谷‐釜ヶ崎」


   あらたに飛び火する運動 ―― 寿町


   さらに飛び火する運動 ―― 笹島


   寄せ場とはなにか ―― 流動と過剰


終 章


● 地下の都市、地表の都市


   社会の総寄せ場化


   寄り場なき都市空間


   私営化とジェントリフィケーション


   寄り場のゆくえ


 


● あとがき/文献一覧/索 引


前書きなど


 アスファルトを引き剥がす ――


 労働者の相貌を現す都市空間誌 ――


 


「…… 2000年代以降、「社会の総寄せ場化」や「釜ヶ崎の全国化」という言葉が唱えられるようになった。かつて「日雇労働者」と呼ばれたプレカリアートには、いまや「フリーター」という名前があてがわれ、雇用や生活の不安定性は社会全体に拡大された。釜ヶ崎はもはや例外ではなく、その状況は日常生活の隅々に浸透している。……


 [中略]


 …… 地図を描くとき、ひとは天空から地上を見下ろす視点にたつ。このときひとは身体の拘束から解き放たれ、ただ視覚だけを特権化させる。だがそれと引き換えに、眼に映るものしか見えなくなる。これに対し本書では、アスファルトを引き剥がし、嗅覚と土地勘とを頼りに地下を掘り進めていくような記述を試みたい。このように土地の深みへと潜っていくのに、まさか手ぶらで臨むわけにはいかない。記憶を展示物と化す事態を避け、地中の声を蘇らせたいと願うならば、なおさらである。このとき問われるのは、空間を論じる視座であろう。次節で述べるように、私たちにとって、空間とは過程でなければならない。本書の試みは、空間を〈動かす〉ことでもあるのだ。…… 


 [中略] 


 …… 自分自身がいまどこに立っているのかを深く理解するためにこそ、あえてアスファルトを引き剥がそうとするのだ。いまのところ過去からの声は、くぐもって聞き取ることができない。おそらく私たちは、テレビやケータイの液晶画面の明るみに慣れてしまったせいで、聞き取るための身体能力を劣化させてしまったのだろう。もし寄せ場と呼ばれる時空間を再構成することができたならば、私たちはきっと、これまでになくはっきりとした声で、地中の叫びを耳にすることになる。寄せ場の記憶に触れ、あらためて地上を振り返ったとき、まわりの風景はその眼にどう映るだろうか。過去からの声は、現在を生きる私たちの耳元に、なにをささやきかけるのだろうか。」


 (本書の30 32 45頁より)


版元から一言


流動する労働者の群れを、


だれも統御することはできなかった。


労働者の流動性は、


つねに〈過剰〉であった。……


だが、かれらは


挫折の苦悩のなかにあってさえ、


みずからが引き受けた過剰を


かたくなに肯定したのである。


それは、見えざる道を拓〔ひら〕き、


新たな空間を生み出しつづけるために、


決して絶やしてはならぬ種火だったのだ。


(本書、第5章より)


著者プロフィール


原口 剛(ハラグチ タケシ)


原口 剛 Haraguchi Takeshi


1976年、千葉県に生まれ、鹿児島県で育つ。東京大学文学部にて倫理学を学んだのち、2000年より大阪市立大学文学研究科にて地理学を学ぶ。2007年、大阪市立大学文学研究科後期博士課程修了、博士(文学)。日本学術振興会特別研究員(PD)や大阪市立大学都市研究プラザ研究員などを経て、2012年より神戸大学大学院人文学研究科准教授。


専門は都市社会地理学および都市論。


共編著に、『釜ヶ崎のススメ』(洛北出版 2011)など。


訳書に、ニール・スミス『ジェントリフィケーションと報復都市 新たなる都市のフロンティア』(ミネルヴァ書房 2014)。


共著に、Marxism and Urban Culture(Lexington Books 2014)、『労働再審4 周縁労働力の移動と再編』(大月書店 2011)、『ホームレス・スタディーズ 排除と包摂のリアリティ』(ミネルヴァ書房 2010)、『地域調査ことはじめ あるく・みる・かく』(ナカニシヤ出版 2007)、『都市空間の地理学』(ミネルヴァ書房 2006)など。



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