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2014.11.02 16:00

キング牧師を初映画化「グローリー」

■キング牧師を初映画化「グローリー」、アカデミー賞受賞の名曲にのせた予告公開

 [映画.com ニュース]ノーベル平和賞を受賞したマーティン・ルーサー・キング・Jr.牧師を史上
初めて映画化した「グローリー 明日への行進」(英題「Selma」)の予告編が、このほど公開された。
第87回米アカデミー賞で主題歌賞を受賞した名曲「Glory」にのせ、キング牧師の演説が胸を打つ
内容となっている。

 1960年代のアメリカ公民権運動の最中に起きた、“血の日曜日事件”を題材に描いた歴史ドラマ。
デビッド・オイェロウォがキング牧師に扮し、そのほかトム・ウィルキンソン、ティム・ロス、キューバ・
グッディング・Jr.、オプラ・ウィンフリーらが共演した。

 キング牧師指導の下、アラバマ州セルマで黒人の有権者登録の妨害に抗議する600人が立ち上がった。
白人知事はこれを鎮圧するが、その模様が全米に流れると大きな声を呼び、2週間後に再び行われた
デモは2万5000人規模にまで膨れ上がる。事態はやがて大統領を巻き込み、セルマのみならず世論を
動かすうねりへとなっていく。

 予告編では、ひとりの男としてのキング牧師の苦悩や、支え続けた家族と仲間たちの姿が切々と
映し出される。さらにキービジュアルも初披露され、キング牧師が毅然とした表情でデモを先導する様子が
切り取られている。人々の眼差(まなざ)しは力強い意志を湛えており、国と世界を突き動かした真実の
物語を象徴する仕上がりとなっている。

 「グローリー 明日への行進」は、6月から東京・有楽町のTOHOシネマズシャンテほか全国順次公開。
http://eiga.com/news/20150421/3/

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アイヌ民族

現在、主として北海道に居住する日本列島の先住民族。欧文表記は Ainu。人口は北海道に2万数千人、道外に数千人といわれるが、正確な数は不明。(アイヌ)はアイヌ語で(神に対する)人間、人を意味し(ほかに夫・父などを指す場合もある)アイヌ人・アイヌ民族をいう場合にも用いる。


アイヌは、北海道、千島列島、樺太(サハリン)を(アイヌモシリ(アイヌの住む大地))として、固有の言語と文化を持ち、共通の経済生活を営み、独自の歴史を築いた集団であり、アイヌ民族に帰属することを自認する人々である。アイヌの起源については様々な説がとなえられてきたが、現在、自然人類学の上からは、縄文時代に広く日本列島に生活していた人々のうち列島北方を居住地としたものが、弥生時代以降も著しい形質上の変化を被らずに中・近世にまで至り、アイヌ民族の主体をなしたという説が有力である。和人(シャモ)は華夷思想の影響をうけて近世末まで(夷)(毛人)(蝦夷)などと記し、(えみし)(えびす)(えぞ)などと呼んできたが、近世以前にこうしたことばで表現された人々がすべてアイヌであったわけではなく、その具体相についてはまだ明確にはなっていない。

アイヌ民族 (本多勝一集)

大和政権と(蝦夷(えみし))の接触は、記録の上では7世紀中葉の阿倍比羅夫(あべのひらふ)の北方遠征が最初で、このことを記す《日本書紀》には、(飽田(あきた)・渟代(ぬしろ))2郡の(道奥(みちのく)の蝦夷)、(津軽郡の蝦夷)、(渡島(おしま)・胆振【さえ】(いぶりさえ)の蝦夷)が登場する。
この記事の(蝦夷)の理解には諸説あるが、(渡島・胆振【さえ】の蝦夷)は北海道南部に住むアイヌの祖先、(津軽郡の蝦夷)はこれと密接な交流のある人々とみる説が妥当であろう。(道奥の蝦夷)とアイヌとの関係については不分明である。阿倍比羅夫の遠征以後、律令国家は武装植民の形で蝦夷(地)経略を進め、華夷意識を伴う領土拡大政策は、その後も権力層に引き継がれていった。


縄文時代の終りごろまで日本列島はほぼ同様の歴史を刻んできたが、紀元前400年-前300年ごろから列島中央部(本州・四国・九州)に住む人々の多くが稲作を主軸とした農耕社会へ移行していったのに対し、列島北方地域では、狩猟・漁猟・採集を主とした文化が存続した。(続縄文文化)と呼ぶ。この文化は8世紀ころに(擦文(さつもん)文化)に移行、12世紀-13世紀まで続いた。(擦文文化)は北海道のほぼ全域に展開し、津軽半島や下北半島にも痕跡を残している。
13世紀は(擦文文化)から(アイヌ文化)への移行期で、このころからアイヌ文化・民族の形成が始まり、14世紀以降本格的に展開していったと考えられている。15世紀中葉、津軽半島の十三湊(とさみなと)を本拠としていた安東(安藤)氏が南部氏に追われて渡島半島に逃亡、侵入、アイヌの生産・生活の場であった主要河川の流域や海岸線に勢力を扶植していったため、アイヌと和人との対立抗争が繰り返され、ついに1456年-1458年のアイヌの蜂起となった(コシャマインの戦)。この戦は和人の勝利に終わり、戦功をあげた武田信広が蠣崎(かきざき)氏を継いで、(道南十二館)を核とした和人社会の覇権を握った。


武田(蠣崎)氏(松前氏の祖)は道南支配の拠点として(上ノ国)に勝山(かつやま)館を築くとともに、1551年(夷狄(いてき)の商舶往還の法度(はっと))を公布して、天ノ川~知内(しりうち)川間の地を和人専用の地(和人地)とした。この法度は、一面ではアイヌとの講和的性格をもち、以後1世紀ほどは比較的良好な関係が維持された。この時期のアイヌの人々の様子は、フロイスやアンジェリス、ディオゴ・カルバリョら宣教師の報告からうかがうことができる。それらによれば、彼らは海洋・交易民であり、自分たちの産物(鮭・鰊などの干物、白鳥・鶴や鷹などの猛禽類、鯨やトドなど)のほか周辺諸民族との交易で得た産物を(和人地)や奥羽北部にもたらし、綿、米(酒米・麹米)、酒などと交換していた。なお水田はなく、栽培穀物は稗(ひえ)が主であったようである。
しかしこうした関係も内部には矛盾をはらんでおり、さらに松前藩の成立と同藩の商場(あきないば)知行制の展開のなかで、アイヌの人々に対する過酷な収奪や漁猟場の破壊が進み、1669年アイヌの近世期最大の蜂起(シャクシャインの戦)が起こる。

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鎮圧戦を進める中で松前藩は、アイヌに対し絶対服従を誓わせた七ヵ条の起請文(きしょうもん)を強要、以後松前藩のアイヌに対する政治的経済的支配は一段と強化され、元禄~享保期(1688年-1736年)に場所請負制(ばしょうけおいせい)が成立すると、(蝦夷地〉のアイヌの多くは交易相手から漁場の労務者へと変質を強制させられていった。松前藩と(奥蝦夷地〉のアイヌとの間では、18世紀後半まで商場での交易関係が続いていたが、1780年代に商場を請け負っていた飛騨屋が漁場経営に切り替え、商場内のアイヌを酷使したため、1789年国後(くなしり)・目梨(めなし)のアイヌが蜂起した(国後・目梨の戦)。
しかしこの蜂起も幕府・松前藩によって鎮圧され、近世末には蝦夷地全域は事実上、幕府・松前藩の統治下に置かれることになり、古代以来、武装植民の形で進められてきた蝦夷地経略=領土化が完了した。


明治政府は1869年、南千島を含む(蝦夷地)を北海道と改称、アイヌの人々を一方的に(日本人)に編入、アイヌ固有の歴史・文化を否定する同化政策を強力に推し進めた。近世期までの領土化に加え、(皇民化)をはかったのである。しかもそれは和人と対等な(皇民化)ではなく、著しく差別的な政策であったことは、1875年アイヌの呼称を(蝦夷人)から(旧土人)と改称したことに端的に表現されている。
この(皇民化)、同化政策のなかでアイヌの人々は自らの文化・母語の放棄を余儀なくされていった。明治政府は1899年、アイヌのさらなる同化と農耕・定住化をはかるため、(保護)を名目に(北海道旧土人保護法)を公布した。この法律制定は1879年の琉球占領(いわゆる琉球処分)、1895年に開始された台湾統治(植民地化)といった明治政府の対外膨張政策、植民地政策(異民族管理)とも密接な関連をもっており、保護法の内容は1887年に米国で制定された(一般土地割当法(通称ドーズ法))に範をとったのではないかという指摘がある。この法律は1937年、1946年、1947年に一部改正や条項の削除がなされたが、その制定経緯、歴史性、内容、差別的名称にもかかわらず1997年まで存続した(同年5月(アイヌ文化振興法)が成立、保護法は廃止)。
近世以来の(和人)による支配、(アイヌ政策)、とりわけ明治政府の同化政策のなかで、土地を奪われ、民族固有の歴史や文化を否定され、母語さえも放棄せざるを得ない状況に追いやられたアイヌの人々は、ただこれを甘受していたわけではない。1920年代以降、差別的な制度の廃止、偏見の打破を目指した個人や組織の言論活動や運動が展開され、第2次大戦後、こうした動きは一層活発になった。1980年代以降は(保護法)撤廃、(アイヌ文化振興法)制定を目指した運動を核に、伝統的な文化の保存と復興、次代への継承、母語の復権など(アイヌ民族)の再構築への取組みが様々な場で意欲的に行われている。しかしアイヌの人々に対する差別や偏見、同化主義は今もなお(和人)社会に根強く存在しており、こうした意識の克服が(和人)社会に課せられている。

日本の先住民族アイヌを知ろう!〈2〉アイヌ民族のことばと文化

従軍慰安婦 じゅうぐんいあんふ

第2次大戦中に日本軍の監督下におかれ、軍人・軍属に性的奉仕をした女性。その数は8万とも20万ともいわれる。当時は(軍慰安所従業婦)などと呼ばれており、(従軍慰安婦)という呼び名は戦後に普及した。軍慰安所は日中戦争の長期化後、中国各地をはじめ東南アジア・太平洋の日本軍占領地に設けられた。日本人慰安婦のほかにアジア各地の女性がおり、徴募にあたった業者が人身売買や拉致(らち)を行うケースもあった。戦後の1990年代、人権侵害・性犯罪との認識が広まり、1991年に3人の韓国人女性が日本政府に補償を求める訴訟を起こしたのをはじめとして各地で訴訟が相次ぎ、これに対し日本政府は1995年、民間団体や個人から募金を集めて被害者に一時金を払うことを目的とした(女性のためのアジア平和国民基金)を発足させた。
しかし国内外で反対運動が起こり、また一時金(200万円)受けとりを拒否する被害者も出ている(同基金は2006年度末に解散の予定)。1996年には国連人権委員会により、日本政府に法的責任受諾や国家補償、加害者の処罰などが勧告されたが、日本政府の姿勢に変化はみられない。なお、元従軍慰安婦が日本政府に補償を求めた訴訟は2004年最高裁で原告の敗訴が確定した。⇒戦後補償

北一輝論 (ちくま文庫)
戒厳令

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